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人前で叱る国際タブーについて
フィリピンでも人前で怒ると怨まれてヤヴァイと言われるが、番犬がわりにゴツいマダム系スタッフを雇いその人に吠えさすやり方で管理に大成功した日本人を俺は知っている https://t.co/GP9SPRc9jG
— モト ボサツさん@子供と成長中 (@motobosa02) November 29, 2020
世界一日本人が殺される国フィリピンで絶対的に冒してはならないタブーがある。
その筆頭に来るのがコレだ。
「フィリピン人を人前で怒ってはいけない」
この不文律に初めて出くわした日本人は「なぜ?」と不思議に思うだろう。
日本で上司、年長者、顧客が社会的に立場の弱い社員を公然と叱ったり罵倒するのはごく普通の光景だ。
それに耐えることが忠誠心だという見られ方もあると感じる。
私もそうだが、一般的な日本人は日本式の常識や価値観が根っから染みついている。
私は38歳でリタイヤメントしセブ島のジャングルで自由気ままな生活を2年間送ったが、自分では完全に日本を捨て抜けきった感覚だった。
しかし、後で聞いた話だが、当時元カノTの義理の妹が時々こんな事を言っていたらしい。
「ボサツさんって、時々怖い顔(管理職ヅラ)するよね」
先日、団塊の世代以上は家庭、職場、社会でも管理職が多く、年中怒り過ぎて顔がへの字グチに固着してしまっている人が多いという記事を書いたが、私もその一人かもしれない。
フィリピン人のように心の底から楽観的に成れない自分を知っている。
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日本と海外の常識の違い
何度も本ブログでも頻繁に引用したが「日本の常識は世界の非常識」という切り口は非常にポピュラーな観点であり、特にフィリピン関係で該当するのが「人前で誰かを叱る」ということだ。
厳密に言えばこれは日本よりも韓国の方がもっとアグレッシブな気がする。
最近フィリピンで大いに流行っている韓国ドラマや映画をうちのティムが観ているのだが、何となくモニターに目をやると上司が部下に対し火病を発しヒステリックな怒声を浴びせるシーンが頻繁に出てくる。
実は私もティムに対し数えきれない程キレたことがある。
公衆の面前ではないが、子供が見ている前で私が罵倒した時は流石に屈辱的な様子だった。
よく今まで殺されなかったと今頃ジワジワ来ているのだが、日本式のやり方を海外で貫くと命が幾らあっても足りない。
日本では部下が上司を殺す事はあまりなく、ストレスを溜め責任を押し付けられた部下が自ら命を落とすケースが圧倒的に多いが、フィリピンでは上司と言えども深く恨みを買えば格安で誰かを雇える。
この問題は日本と韓国以外では普遍的で、公開の場での侮辱は個人の社会的立場とプライドを深く傷つけることになるのだ。
特におじさんとかさ、街中で人を罵倒したりするじゃない、日本では。あれ安心してやっているんだと思うけど、多くの国では、公衆の面前で他人を多忙すると言う事は、かなり深刻な復讐を伴いますよ。それこそ射殺されてもおかしくない。甘やかされて緊張感と危機感がないおじいさんが多い。
人を公開の場で罵倒する人、日本だととても多い。お年寄りに限らず、電車の遅延で駅員さんを罵倒する光景も。怒鳴ったり大声上げることを恥ずかしいと思わないのは、バラエティ番組の延長の世界に生きているせいなのだろうか。
人様を公開の場で侮辱することの報復がどれだけ恐ろしいか、ここ半世紀ほどの日本にいると気づかなかったかもしれませんが、経済状況が悪くなると、やがて思い知らされる日が来るでしょう。
— Satoshi Ikeuchi 池内恵 (@chutoislam) May 8, 2018
お爺さんばかりが問題視されているが、若いクレーマーも根は同じ。
客という立場を利用して講習の面前でも猛威を振るう。
20代前半のサラリーマン時代、上司からほぼ濡れ衣に近い状況で皆の前で激しく叱責された後「あれはお前個人というわけではなく、周囲にカツを入れようと思ったとさ」といわれ果てしない不条理を感じた。
そういえば、高倉健とマイケルダグラスが出演していた「ブラックレイン」という映画(少しうろ覚え)は日米合作の映画で、ヤクザの親分が子分を公然と罵倒し殴るシーンを日本独特の文化だとアメリカ人がアメリカ人に説明していたのがやけに印象的だった。
つまり、個人を生贄にすることで群れの統率を図るのが日本古来のやり方というわけだ。
日本の子供の陰湿なイジメもその点との関係性を感じてしまう。
つまり日本は「安全に叱ることができる国」と言える。
アメリカやフィリピンで日本の常識を貫いてしまうとアメリカではビジネスマンとしてのキャリアにダメージを受け、フィリピンだと殺られてしまう。
そうやってフィリピンでは日本人が世界一殺されてしまうのだ。
フィリピンでは結論から言えば、部下の怠慢で取返しのつかない損害が起きたとしても日本式のやり方で公開処刑してしまうと改善されるどころかもっと酷いことになる。
フィリピン初年度にアドミンヘッドを人前で叱ったら、アドミンヘッドが全アドミンを連れてやめてしまいましたね。今思えば、やめるだけで、恨まれて撃たれなかっただけ良いと思ってます。
アドミンヘッドにとにかく十分な給料を払い、グリップをきかせ、全てその人から怒らせるのがポイントですよね
考察とまとめ
こうやって理不尽だと思っても部下を叱ることで前に進むことは1㎜もないというのが海外生活の常識なのだ。
しかし、野放しにスポイルするわけにもいかない。
周りの日本人で上手くフィリピン人を管理出来ている知人の例だと、一般より少し高額でマダム系のごついオバPを雇い、日本人は直接手を下さないやり方だ。
特にフィリピン人は自国内で外国人に怒られるとエベレストより高いプライドが大いに傷ついてしまうらしい。
また、フィリピン人リーダーが部下を連れて大量に辞めないよう常にリーダーには甘い汁を吸わせこちらサイドに居るかどうかをモニターすべきだ。
フィリピンによくある小規模の日系企業では現地ワーカーの管理がおぼつかなく、アドミンのリーダーが部下を扇動し日本人の悪口を言っているケースもかなり多く見られる。
そんな状態で制御できるわけがない。
追伸
先にも述べたが、国籍問わず誰であろうと人前で怒られればとても恥ずかしく強烈に嫌な気持ちになる。
先に韓国のドラマで部下をこっぴどく叱るシーンを見るのが辛いと書いたが、もちろん俳優さんがシナリオに沿って演技しているのは分かるのだが、それでも嫌な気持ちになってしまう。
つまり、誰だって人前で自分または誰かが罵倒されるのは辛い。
日本人とフィリピン人の違いはそこを我慢をするか、殺し屋を雇うかという違いであり痛みの総量は同じなはず。
そのうちコロナウイルス騒ぎが鎮火すれば東京オリンピックも開催され、観光または人手不足を補うために外国人が大量にやってくるだろう。
職場に外国人がいるのが当たり前となり、日本における日本の会社でも人前で部下を怒ることのリスクを考える時代となっているのだ。
日本式の人生は幸せになれる気がしない。
常に他人の評価が人生の主体なんてまっぴらだ。
私は残りわずかな人生(推定20年前後)をフィリピン人の如く我儘にそして幸せに過ごしたいと思っている。
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