モトボサツ物語

「働き盛りの40代」を全てフィリピンに捧げた男への評価が二つに分かれる

投稿日:2021年2月9日 更新日:

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2013年~2016年 モトボサツ勝手にブログセブ島編 カテゴリー別

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【シーズン1】モトボサツ勝手にブログセブ島編|カテゴリー別記事

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セブ島最終日

私の長い長い夏休みが今まさに終わろうとしている。

30代中盤で廃人のような生活をし、北九州市へ流れつき、別人として再起した。

そこからのフィリピン生活。

フィリピンという原始的な国で生活するのに希望ばかりではなかった。

今まで頑張って築いたものが白紙になる。

日本の生活基盤、学歴、キャリアというデータ的なものが全て意味をなさない。

自分が日本人であることさえどうでも良い異次元の世界へ身を投じる事になるのだ。

一匹のヒューマンという動物としてこれまで培った叡智や強さが試されるというと大げさかもしれないが、当時の私はある種の覚悟が必要だった。

しかし、現地で生活を開始すると、そんな薄っぺらいものはどうでも良くなった。

セブのジャングルで2年過ごし、仕事なし、家族なし、毎日が冒険。

始めて自分の知らない自分を発見し、能動的に生きた。

こんなに楽しい人生があったのかと心の底から充実した日々を過ごした。

心を100%開放したジャングル生活を終え、セブ市のダウンタウンで新生活を始めた。

そこに第二の青春が存在した。

竜宮城とは正にあの世界を表現した言葉なのだ。

タイやフィリピンで日本人男性が沈没する理由が実によく分かる。

夢でも見ているように女性にモテた。

もちろん大概は金や日本ビザ目的だと知っていても、楽しくて仕方がない40歳の青春。

日本人女性は巨乳だらけだと勘違いしているカナダ人ジェフ君という親友が出来た。

辻原かなっぽいグラビア系日本女子と付き合いたいと願っていた。

毎晩一緒に飲み歩いているうちに彼の英語が乗り移り、自分の英会話力が急激に上達したという想定外のハプニング。

元々、ビサヤ語やタガログ語といった現地語の習得のみに興味があったので思わぬ副産物を拾った形だった。

常にアドレナリンやドーパミンが脳内充満するスリリングなセブ市街地の生活。

混沌過ぎる世界。

昔見た、ブレードランナーという映画のシーンが実生活と重なった。

ジャングル生活も良かったが、街の生活も捨てがたい魅力があった。

 

マニラで仕事のオファーがあった。

セブを去りがたい気持ちもあったが、中途半端に話せるタガログ語の完成度をもっと上げたいという思いが背中を押した。

語学学校の管理の仕事だったが、時間が空いている講師に英語ではなく、タガログ語の授業をしてもらったのだが、フィリピン人英語講師とは実に面白い。

英語を教えるのはプロなのに、母語であるタガログ語を教えるのはヘタクソである。

私がセブでビサヤ語と英語を上達させたように、言葉はやはり生活や遊びの中で習得していくものだと確信した。

マニラではJTBやHIS等の旅行関連企業の人が代理店として学校を訪問し、話をする機会が多かった。

私の生き様に対する感想が真っ二つに分かれた。

一つは、40歳でマニラで自由に生きる私が羨ましいという派、もう一つは、40歳という働き盛りの時期を無駄にしているという派。

まあ、どちらも正解だが、男性は前者が多く、女性は後者が多かったのが大変興味深い。

出張で日本からやってきた同じ歳のJTBの課長さんがこういったのが今でも記憶にはっきり残っている。

 

「この環境で自由に生きれるなんてホントに羨ましいですよ。。。」

 

彼は社交辞令や気休めではなく、心の底からそう思っているように感じた。

 

そして、セブへまた戻って来た。

私はついマニラの人になろうと思っていたのだが、セブが私を離したくないようだ。

知人の縁でセブノーマル大学での日本語の授業を受け持った。

50名の生徒を前に教壇に立ち3年間。

想い出は尽きない。

生徒はほぼ20歳前後の女子大生。

そこでもモテた。

「わたし、先生の子供を産みたい!」

後ろの席からそういう声が聞こえて来たりした。

遅れて来た生徒が後から出席を報告するために授業が終わった後にやってくる。

後ろから抱き疲れたこともあった。

あれは夢だったのか?

桃色に染まった妄想的想い出が駆け巡る。

 

私は30代中盤で起きた悲惨な離婚のあと、外国人とだけ付き合うとレギュレーションを敷いた。

結果的にフィリピンと縁がありセブ島という全く興味もない未開の地へ足を踏み入れたのだが、一言で語りつくせない思い出が詰まっている。

男にとって最強の40代をすべて捧げた地を去る万感の思い。

日本でそのまま生活を続けていた自分とは恐らく顔つきも含め全くの別人となってしまっているが、こういう生き方もあるというサンプルとして誰かの役に立てたら幸いだ。

 

なぜ今さら日本へ?

ティムは元々スービックの日系企業で7年ほど働いていたので、日本人の性質を熟知しており、さらに日本食に対しても造形が深かった。

だからいつか日本で暮らすという事を夢に見ているのは当初から知っていた。

カワイイちゃんが生まれ、成長して行くにつれ、ある不安が湧き上がる。

このままフィリピンで育てたら普通のフィリピン人になってしまうだろう。

失礼な言い方だとは百も承知。

さらに、フィリピン人やフィリピンが好きでフィリピンに住んだはずなのに、この種の疑問や不安は我ながら不可解でもある。

しかし、セブで子育てを経験した某先輩からこうハッキリ言われたことが頭から離れない。

 

「ボサツ君ね、フィリピンの大学でても月収2万円しか稼げないし、日本で育てることを強く勧めるよ」

 

私の都合を子供に押し付けたくない。

特に離婚により、前妻との間のもう一人の娘に苦労をかけたという意識が頭の中に鎮座している。

 

カワイイちゃん
パパ、エアコンのある体操教室へ通いたい

 

沈みゆく日本。

世界最古と言われる日本国が亡くなってしまうのも時間の問題なのかもしれない。

もしそれが本当であっても、現状のフィリピンと比べ、子供にとっての治安、医療、社会システムは雲泥の差。

このアドバンテージを子育てに使わない手はないだろう?

 

「フィリピンハーフはイジメにあうよ」

 

この事を耳にした事がなんどかあるが、もし学校でイジメられたら転校させれば良いではないか。

死ぬも生きるも自由な世界で14年間生活したフレキシブルな価値感での子育てが楽しめるはず。

 

ちなみに、コロナの入国制限でティムが日本へ入れないので、私だけ単身で環境を整える予定だ。

在留申請が通れば、そこから入国ビザが降りる可能性がある。

その過程は本ブログにてご報告させて頂きたい。

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モトボサツ

2年のセブ島ジャングル生活を経てビサヤ語を習得。その後タガログ語も同時に習得し、最後は英語という逆ばりメソッド。現在生命保険、医療保険コンサルおよびビジネス通訳を兼ねる。元セブの大学にて3年間ストリート系日本語教師の経験あり。

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